「優……牙、くん……。
 ……あ……り……が……と……う……。」
 その言葉を最後に少女の体躯(たいく)は虚空へと拡散し、消滅する。
 空っぽになった少年の腕のなかには、少年から少女へ贈ったペンダントだけが残される。
「そうだね、さよならじゃない。”ありがとう”だ。
 僕からも、”ありがとう”(まな)ちゃん。」
 少年は溢れる涙を堪えて、今はもういない少女への言葉を紡いだ。
「そして――。
 さよならだ、パンドラッ!」
 涙を拭った少年は悲しむ者から復讐する者へ――少女をこんな目に合わせた目の前の張本人へ、その憎悪が宿った瞳を向ける。
「……そうか、そうだったのか……。(まな)は優牙くんの……。」
 憎悪の対象となっている張本人は何やらブツブツと呟きながら、考え事をしていたが、少年にとってはそんな事、どうでも良かった。
「うああぁぁぁぁぁぁぁあああぁっ!!!」
 少年は、形振り構わず目の前の人物に突進した。


 この世界には、常人には計り知れない力や能力を持った者たちが居る。
 彼らは人智を超えしその力により、時に自らより弱きものより迫害され、時に自らより弱きものに利用されてきた。
 そこで彼らは力を持つものたちだけの楽園を築こうと、とある一つの島に集結した。
 島は夢源島(ゆめのみなもとじま)と名付けられ、騒がしくも平和な日々を送っていた。
 そこに現われたるは、一人の青年。
 額に長い触角を有し、その身の内に強大なる力を秘めつつも、心優しき青年――優しき牙。
 その青年の名は夢路 優牙(ゆめじ ゆうが)

 この物語は、夢路優牙の夢と希望と波乱に満ちた愛と友情の物語である。

 ……筈である。


   >第一章 夢生まれ(いずる)島に優しき牙(きた)る<


「……さんっ! お客さんっ! 終点ですよ。起きて下さい!」
 青年は何者かの声で目が覚めた。どうやらしばしの間眠っていたらしい。
(あぁ、そうか。俺はバスに乗ってたんだっけ。もう着いたのか。)
 わざわざ起こしてくれた運転手に礼を言い、荷物を持ってバスを降りる。
 降り立った地は何の変哲も無い片田舎のような辺鄙(へんぴ)な町だ。
(流石に都会じゃないか……。ま、緑が多いほうが俺は好きだけど。)
「ニヤー、ニヤーッ!」
 青年が右手に持った篭のなかから、彼の相棒が(いなな)く。
「そうかそうか、ミィも自然が多くて嬉しいか。食材は新鮮そうだし、お前の好物も上手く出来そうだぞ。」
 篭のなかでランランと目を輝かせる相棒に向って青年は言う。
 とっとと篭から出してやりたいのだが、それにはまず人目につかない場所……せめて新居となる場所まで行かねばならない。この小動物は他の動物とは少し……いや、かなり変わっているからだ。
 変わっているといえば、青年の容姿も変わっていた。
 別段、変な服装をしているというわけではない。長袖のシャツにジーンズのズボンという至って普通の格好である。
 顔立ちも、やや釣り気味の目に整った鼻立ちと口元、黒い短い髪とちょっとした美男子と言っても過言ではないだろう。
 その額から生えた一本の釣竿のような触覚を除いては。
 長さ30cm程のそれは、淡く微妙に発光しており、間違いなく彼――夢路優牙の肉体の一部である。傷付ければ血が出るし、彼は触覚を通して周囲の様子を探ることも出来た。
 勿論、こんなモノを生やした人間がそうそう居る筈も無い。彼は何度かTVでも話題になったし、度々医者や生物学者たちの目に止まった。
 目に止めたのは学者連中だけではなく、一般人もそうだった。”他人と違う者は叩かれる”という法則を前にして、こんなに分かり易い標的などそうそう居ないのだから……。
 それまで彼を守ってくれていた両親も先日揃って病死してしまったが、両親はこの「島」の土地と家を優牙に残してくれた。
 何故か世界地図はおろか日本地図にすら載っていない不思議な場所ではあるが、優牙のような者が住むには最適……らしい。
 優牙自身はそんな話、半信半疑であったが、実際に島に来てみて実感した。
 確かに、この「島」の住民と思われる人物たちは優牙を見ても驚いてはいないようである。
 普通、優牙を知らない者が彼を見かけたら、ほぼ間違いなくその奇異な外見に驚く。酷い場合には逃げ出すか、罵声を浴びせてくる。
 それがこの島の住民はというと、一瞬注目することは確かだが、「ほっぺたにご飯粒がついていますよ」程度の反応なのである。
「ま、ああいう反応も不気味っちゃあ、不気味だな。」
 目的地である新居への「島の地図」を右手に左手に海を見ながら優牙はコンクリート舗装された道を行く。
 その道は、それなりの大きさはあるものの、やはり「島」であるからなのか、車一台がやっと通れるような狭い道では自転車とバイク以外の乗り物には出くわさなかった。
 いや、それよりも気になる事があった。
「国道……X(エックス)2号線、か。
 国道なのか、この道。それより、X2号なんて始めて聞いた番号だな。」
 国土交通省発行の地図にも、道路標識にも『X2号』の文字が堂々と載っているから、間違いなくこの道は”国道X2号”なのだろう。地図に無い島といい、”X2号”という変な番号といい、つくづく怪しい場所である。
「ん? あれは……」
 ふと、優牙の視界に気になるものが映った。
 道路脇のガードレールを越えた場所、切り立った岩場に少女が一人、ぽつんと立っているのである。
 胸元辺りまである青白い髪は後頭部で三つ網にされ赤いリボンが結ばれている。茶色い長袖の上着に紺のロングスカートと地味な格好をしたその少女は、何処か儚げで……。今にも海に身投げでもしそうな雰囲気だった。
「何か危なっかしいな……。」
 彼女が立っている場所は、「断崖絶壁」とはいかないまでも、海面まで結構な高さがある。
 もし飛び降りれば、即死では無いにしろ、春先の冷たい海では……。
 そんな事を考えているうちに、彼女は海に近付いて行く。
(これはマズイ!)
 そう思った優牙は荷物を放り出してその少女に向って駆け出した。相棒が入っている篭を放り投げた時、「フンギャーッ!」という叫びがあがったような気がしたが、今は気にしない。
「待てッ! 早まるなぁ!」
 駆けながら少女に向かい必死に叫ぶ優牙。その声が聞こえている筈の少女は、声には応えず両手を水平に広げて、一歩踏み出した。
「I can fly〜♪」
 少女はそんな事を呟きながら重力に身を任せ――。
 寸でのところで優牙は少女の細身を飛びつき、そのまま固い岩場に転がった。
「あ、危ないじゃないか! なんで自殺なんかしようとするんだ!?」
 少女にのしかかる格好で起き上がった優牙は、そのままなりふり構わず少女を怒鳴った。
「……自殺じゃないわ。空を飛ぼうとしただけ。」
 少女は呆気に取られた様子で淡々とそう言った。
「は? 飛ぶ?」
 素っ頓狂(すっとんきょう)な事を言う少女の顔をマジマジと見つめる優牙。
 改めて見てみると、少女は可愛らしかった。
 左右のモミアゲ部分の髪の毛は後頭部のリボンと同じく赤いリボンでまとめられ、鼻立ちは整っており、ふっくらとした唇は魅力的だ。何より……そのたれ目気味の瞳はどこか憂いを帯びてはいるものの、自殺を図る程の絶望を秘めてはいないように思える。
 しばしの間、少女の顔を見つめていた優牙は、己の頬が紅潮しているのが分かった。
「…………こういう場合は悲鳴をあげたほうがいいのかしら?」
「へ?」
「それとも……抵抗したほうがいいのかしら?」
 そう言われて初めて優牙は気がついた。己が右手が彼女の左乳房を鷲掴みにしている事に。
「う、うわああぁぁぁっ! ゴゴゴゴゴゴゴメンナサイっ!!!」
 すっかり慌てた優牙は思いっきり後ずさり。あまりに後ずさりし過ぎたせいで、後数pで岩場から落ちてしまうところだった。
 ところが、少女の反応は意外なものだった。
「別に。そんなに気にしてない。減るものじゃないし。」
 どうやら彼女は他人とは価値観を異にしているらしい。
 服についた汚れを手で払いながら、少女はゆっくりと立ち上がった。
「で……え〜っと、飛ぶって?」
 優牙も立ち上がり、汚れを払いながら先程から気になっていた事を尋ねた。
「……リューイチに乗るの。」
「リューイチ?」
 ふいに少女は何かの合図を送るように右手を空に向けて掲げた。
 するとどうだろう。何か得たいの知れないエネルギーが彼女の周囲を取り囲み、何かを形作っていくではないか!
「! これは!?」
 形作られていく何かは、十秒もしないうちに完成した。
 それはドラゴンだった。
 トカゲのような緑色の体躯、長い首の先にはワニのような頭。山羊のような角を生やし、コウモリの翼を持つ伝説上の怪物。
 その鋭い爪は鎧を着た騎士をも易々と引き裂き、牙が並ぶ獰猛な口は兜ごと頭蓋(ずがい)を噛み砕く、恐るべき怪物である。
 突如として現れた怪物に少女は……「I can fly〜♪」などと呟きつつ、ドラゴンの首に(またが)ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと待って! もしかして、ソイツに乗る気!?」
「そうよ。」
 即答だった。
「……あなたも乗る?」
 悪魔の誘いを淡々と口にする少女。
「え、エンリョシマス……。」
 恐怖のせいか、声色が変な風になる優牙。
 襲われないだろうかとか、乗れるのかという恐怖より、未知なるものに対しての恐怖、というもののほうが強かった。
「……遠慮しないで。勘違いでも、私を助けようとしてくれたお礼がしたいし。
 それに……この島に引っ越してきたんでしょう? 早く慣れたほうがいいわ。」
「慣れ……?」
「そう。これが私のチカラ、『ドラゴン・ロアー』。
 あなたのその額の「もの」も、チカラの影響なんでしょう? だからこの島に来た。」
(あぁ、成る程。そういう事か。)
 優牙は納得した。
(俺のような者が住むには最適な島……つまり、俺や彼女のような『変なチカラを持った人間が集った島』、か。)
 顎に手を当て、一人でうんうんと頷く優牙の元へ、少女を乗せたドラゴンがのっしのっしと歩み寄って来る。
「……納得出来たのなら、乗る?」
 長い首をもたげ四肢を折り曲げて、乗り易い姿勢になるドラゴンを前に優牙は……。
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えて。」
 放り出していた荷物を拾い集め、ドラゴンの背によじ登る。その背中は見た目とは違い、意外に広かった。そして……見た目の凶暴さとは裏腹に、優しい温もりもあった。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。
 俺は夢路優牙、今日からこの島の高校二年だ。」
「私はシオン。竜宮シオン。高校二年よ。
 ようこそ、夢源島へ。」
 こうして空の旅が始まった。

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