夢源島。世界地図はおろか日本地図にすら記載されていない、幻の島。
 総面積約180平方キロメートル、総人口およそ1200人。中央部は盛り上がって山となり、三方を海に囲まれ、夏は暑く冬は寒いという気候。
 実は本州某所と陸続きであり、島というよりは実質半島である。バスも車道も電話線もネット回線も通っているが、他からは隔絶された地。イメージとしては長崎県にかつてあった出島が近いだろうか。
 名産は不明。温泉が出る場所もあり、海の幸も山の幸も楽しめる片田舎な町並み。
 そこにこの春、引っ越してきたのは頭に釣竿のような触覚がある夢路優牙。4月17日生まれの17歳。
 彼は今、ご近所に配る為の引越し蕎麦を打っていた。

>第二章 引越し蕎麦はホドホドに<

「何やってのよ、あんた。」
 窓から優牙に話し掛けてきたのは、昨日散々暴れたアリスだ。 彼女と優牙の部屋はほとんど隣接する程近いうえに窓が向かい合っているのである。
「男の部屋を覗くのは良い趣味とは思えないんですけどね。」
 対する優牙は嫌味たっぷりに返答する。
「あら、丁寧語で話してくれるの? 糞餓鬼にしてはやるじゃない。」
「そりゃ、昨日あれだけ暴れられたら、怖くて言葉も丁寧になりますよ。」
 確かに昨日は散々だった。今、彼女が話しかけてきている窓から灼熱の業火が放たれたり、踏み付けられたり、マウントされたり……。鮮明に蘇えるのは恐怖ばかりだ。
「……アンタ、喧嘩売ってんの?」
「と、とんでもない! 本当にもうドラゴンだけは勘弁して下さい!」
「ふ〜ん。まぁ今は機嫌がいいから。
 ところでさぁ、丁寧語使われると気持ち悪いからタメ口でいいわよ。」
 彼女は20歳で優牙より年上だ。優牙としては年上とタメ口で話すのは気が引けるのだが、相手が「気持ち悪いから」といっている以上、それに従ったほうが良いだろう。そう思った優牙は。
「じゃあ、タメ口で話させて貰うよ。竜宮さん。」
「竜宮もダメ。シオンと話したいのかアタシと話したいのか分からない(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)でしょうが。」
「じゃ、分かったよ、アリスさん。」
「はい、宜しい。
 で? 何やってんの?」
 アリスの位置では見えるのはキッチンで何か腕を動かしている優牙の背中しか見えない。後姿からでは何をしているかなど分からないのも当然だった。
「引越し蕎麦を打ってるんだよ。引越し蕎麦。」
「え〜、それってアタシたちに配るんでしょ? 美味しいの?」
「ま、食える味ではあるかな。美味しいかどうかはその人の味覚によると思う。」
「ていうかさぁ、蕎麦打ちなんて出来んの?」
「出来るから、やってるんだけど。因みに原材料以外は全て手作り。」
 全て手作りという優牙の言葉にアリスは驚いた。
「え!? じゃあ、蕎麦粉から作ってんの!?」
原材料から(、、、、、)だって。蕎麦の実を仕入れて粉にするところからだ。」
「……マヂ?」
「大マジ。」
 優牙の台詞を聞いたアリスは窓から顔を引っ込めて、ドタバタと何処かへ駆け出した。
 そして。
「入るわよ。」
 優牙の家に上がり込んで来たのである。
「入っていいって、言ってないんだけど。」
「おー、ホントに蕎麦の実がある……。」
 優牙の制止も聞かず、キッチンに乱入してきたアリスは、袋に詰められた蕎麦の実を発見して騒いでいた。
「蕎麦もちゃんと打ってあるわね。……よく分かんないケド。」
 打ったばかりの蕎麦の生地を指でつついて騒ぐアリス。
(こんなトコロは子供みたいだな〜。)
 餓鬼は嫌いだと豪語(ごうご)していたアリス自身が子供っぽくみえて、優牙は思わず苦笑した。
「ところで、この近所って、何人くらい住んでるんだ? 一応今は十人分くらいは作ってるんだけど。」
 優牙の問いに、アリスは指折り数えて確認し、「足りないんじゃない?」と返した。
「向こう三軒、両隣でしょ? だったら、ウチのアパートが6人で、向こうの小父様(おじさま)の家が4人。道路の向かい側の3軒が7人だし、後ろは山だし。」
 優牙宅を正面から見て右手の豪邸はアルフレッド・K・ラドクリフが住む家、つまりラドクリフ邸らしい。
「ありがとう。なら、ちょっとの追加で済みそうだな。」
 それだけ聴くと優牙は蕎麦うちを再開した。
 リズミカルに丁寧に、それでいて力強くうたれる蕎麦をアリスはしばらく黙って見ていたが。
「……ねぇ、これって、どうやって配るの?」
「ん〜、麺と出汁(だし)を別々にタッパーに詰めて、かな。」
「アタシには完成品くんない? お昼、それにするから。」
 正直、なかなか図々しい人だと優牙は思った。
「じゃあ、一時間後くらいに取りに来てくれよ。(どんぶり)を持って歩くのは辛いから。」
「それなら、窓からでいいわ。出来上がったら呼んで。」
 そう言って彼女はその場を立ち去った。
「さてと、俺はラスト・スパートだな。」
 優牙は足りない5人分も含めてラストスパートに取り掛かった。

「おーい、アリスさん!」
 あれから約一時間。出来立てで湯気があがる手作り蕎麦が入った丼を片手に窓越しにアリスを呼んでいるのだが、なかなか返事が無い。
 留守かな、と優牙が思っていると、カーテンが開き、見知った顔が現れた。
「……アリスなら、今留守よ。」
 彼女はシオンだった。
「もしかして、お昼はもう食べたりした?」
「えぇ。もう食べたけど、それがどうかしたの?」
 これはまたややこしいすれ違いである。勘違いの種にならなきゃいいけど、と密かに優牙は思った。
「アリスさんが、お昼に食べるって言ってた引越し蕎麦だ。一応、キミが受け取ってくれ。」
 事情を簡単に説明し、窓から丼を手渡す優牙。
「あら、ご丁寧にどうも。アリスにはキチンと伝えておくわ。」
 どうやって伝えるのか疑問に思った優牙だが、取り敢えず誤解には発展しそうにないので、黙っておいた。
「それじゃ、俺はまだ配るところがあるから。」
 彼女が受け取ったのを確認した優牙は素早く次の行動に移ろうとしたのだが。
「……ちょっと待って。私の分は?」
「は?」
「アリスの分は貰ったけど、私の分は貰ってない……。」
「…………。あのさ、竜宮さんを除いて、そのアパートには何人住んでる?」
「4人よ。……もしかして、私の分は無いの?」
 アリスがアパートに住んでいるといった人数は6人。竜宮を除く住民の数は4人。
(ちゃっかりしてるよ……。最初っから一つの体で二人分食べる気だったのか……。)
「……ハイ、シオンさんの分。」
「あ……。ありがとう。なんだか図々しくてごめんなさいね。
 お礼ってわけじゃないけど、この子に道案内をさせるわ。」
 そう言って、シオンが右手を差し出すと、エネルギーが収束し小さなドラゴンが現れた。
「こ、これは!?」
「この子はリュージ。この子を通して離れたところでも会話みたいな事が出来るわ。
 来たばっかりでこの辺の事、よく分からないでしょ? だから、この子にこの先道案内をさせるから。」
 リュージと呼ばれた手の平サイズのドラゴンは優牙のところにパタパタと飛んできて、お辞儀をした。
「ドウモ、初めまして。おれっちはリュージってんだ。」
 しかも立派に挨拶までしてくる。
「私と話したいときは翼を引っ張って。リュージはほぼ完全に自立してる存在だから、嫌がるかもしれないけど。」
「そんな、マスターの命令なら何でも聞きますゼ。」
 自立している、という言葉通り、自分で考えて話しているようであり、その姿は可愛らしかった。
「じゃあ、後は任せるわ、リュージ。」
「ヘイ。任してくだせぇ!」
 従順に手を振って挨拶をするリュージ。しかし、マスターであるシオンの姿が見えなくなった途端、態度が一変した。
「よぉ、ニーチャン。おれっちの命令にゃ、ちゃんと従ってくれんだろうな!?」
「は?」
「だからよぉ、おれっちの遊び相手になってくれんだろぉ?
 まずはメシだな、メシ。
 お、あそこに上手そうなモンがあるじゃねぇか。」
 リュージはパタパタと翼をはためかせ、出来上がったばかりの蕎麦の麺に近付く。
「ほいじゃ、いただきまぁ〜……」
 口を大きく開けて出来たての蕎麦を食らおうとする手の平サイズのドラゴン。
「やめろぉー!」
 優牙は慌てて飛び付くが、最早間に合わない! ……そう思った時。
「ギャワン!」
 リュージはミィの飛び蹴りを受けて吹っ飛んだ。
「よし、良くやった、ミィ!」
 優牙が駆けつけた時、同じく作られた存在である長靴を履いた猫・ミィとリュージはそのまま床で取っ組み合いを始めていた。
「なんだよ、このクソネコわっ!」
「ニヤーッ! ニヤーッ!」
 二匹が縺れ合っている間に、優牙はリュージの翼を掴み、思いっきり引っ張った。
「……早速、何の用?」
 ドラゴンは白目を剥いて気絶し、その代わりに女性の口調で声が聞こえた。
「あの、やっぱりこのドラゴン要らない。蕎麦を食べようとするし。」
「それは無理な相談ね。リュージを消せるのはシオンだけだし。」
「え? じゃあ、今は!?」
「そう、アタシはアリスよ。蕎麦はまた明日食べるわね。」
 この短時間になんて都合よく人格が変わってるんだ、と優牙は(なげ)いた。
「……消す方法は?」
「下手に消すとシオンの精神にダメージがいくわよ。アタシは別に構わないけど。」
 その後、優牙は一通り彼女の能力『ドラゴン・ロアー』についての説明を受けた。
 その説明によると、主人格であるシオンが使えるのは緑色の中型ドラゴンの”リューイチ”、小型の自立型ドラゴン”リュージ”。アリスが使えるのが黒い大型ドラゴン”リュータロウ”、そして共通して”リューイチ”も使えるらしい。
 しかし、リュージとリュータロウに関してはそれぞれの人格のみが扱え、もう一方の人格では操ることはおろか、消すこともままならないという。
「……なんで、そんなにややこしいんだ?」
「知らないわよ。いつの間にかこうなってたんだもの。
 それに今まで全然不自由してなかったし。」
「今、俺が不自由してる。」
 更に悪い知らせがあった。
 リュージは今、シオンというマスターを無くしてはいるものの、そのマスターから受けた「優牙の手伝い」という命令によって、一応の束縛を受けている状態らしい。
 だが、この命令を優牙が「手伝いは要らない」と取り消してしまえば、リュージを束縛するものは何も無くなり、完全に自由な意思の元で好き勝手に暴れる可能性があるという。
 かと言って、拘束しようにも、ドラゴンである。易々と拘束されてくれるわけはない。
「……つまり、蕎麦を死守しながら、こいつを連れて回れ、とそう言う事か。」
「そうよ。ついでに言っとくけど、アタシ、しばらく寝るから。」
「寝る?! アドバイスは無しかよ!?」
「仕方無いでしょ! シオンが出したものでも、消費するのはアタシなんだから! そいつを維持するのって、結構疲れるのよ!?」
「だったら、大いに疲れてくれ。自然消滅を待っててやるから。」
「馬っ鹿ね。勝手に消したらシオンの精神にダメージがあるって言ったでしょ! それに疲れるって言ってもあと丸一日はもつわよ。」
 優牙に選択の余地は無いようだった。

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