双子が去った後、しばらくして優牙が居る部屋とは別の場所で何やらまた声が聞こえてきた。方向から察するに玄関付近だと思われるその声は誰かの笑い声のようだ。
(アルフレッドさんが帰ってきたのかな?)
 優牙の予感は的中した。しばらくすると優牙が待っている部屋にアルフレッドが入ってきたのだ。
「やぁ。お待たせしてしまったね、夢路クン。」
 低い威厳のあるアルフレッドの声が部屋に響く。
「あ、どうも。お邪魔してます。」
 ドアのところにはアルフレッドだけで、双子やメイドさんの姿は見当たらなかった。
「あの、これ……引越し蕎麦です。」
 優牙はソファから立ち上がってアルフレッドに蕎麦が入ったタッパーを渡す。
「ん? あぁ、そうか。日本にはそういう風習があったね。すまないね、わざわざ来て頂いて」
「あ、いえいえ。これからもよろしくお願いします。」
「あぁ、こちらこそよろしくお願いするよ。
 とこで、どうだろう? もし時間があれば今からでも歓迎のパーティを開きたいのだが?」
 流石はイギリス出身の伯爵、アルフレッド卿である。引越しの祝いにパーティを開きたいと提案してきたのだ。
「あ〜、他の家にも回るので、今からはちょっと……。」
 優牙の返事を聞くとアルフレッドは残念そうに「そうか」と呟いた。
「では、歓迎パーティは日を改めて開く事にしよう。
 ……リリィ、お客様にご挨拶を。」
「かしこまりました、ご主人様(my lord)
 アルフレッドが催促をすると、あのメイドさんがドアから入って来た。
「では、僭越ながら。
 私はラドクリフ家でお仕えさせて頂いております、リリス・サージェントと申します。
 ふつつか者ですが、御用の際は何なりとお申し付け下さいまし。」
 言い終わると、メイドさんはスカートの裾を摘み上げて深々とお辞儀をする。
「夢路優牙です。こちらこそよろしくお願いします。」
 優牙とリリスの挨拶が終わると、アルフレッドがリリスの肩に手をポンと置く。
「ご覧の通り、彼女は我が家の使用人でね。少々ドジなのには――ある理由があるのだが……まぁ、実害は無い筈だから、あまり気にせずに……」
「実害あり過ぎですわ。」
 アルフレッドの話を突然遮ったのは、いつの間にか部屋に入ってきたのはセラフィーナだった。彼女は本当にいつの間に現れたのか、アルフレッドの背中におぶさるようにして彼の左肩から顔を覗かせている。
「……まったく、デス。」
 更にアルフレッドの足元にはメルヴィーナが、これまたいつの間にやら顔を覗かせている。
「急に抱きついてこられて頬擦りをなされたり、変なトコロをお撫でになったり、お頼みしておりませんのに体を洗おうとなされたり……」
「……無理矢理、キス、されそうになった、デス。」
 双子の言葉にリリスは青ざめ、アルフレッドはフルフルと怒りに身を震わせる。
「ほほぅ……。Ms.リリス、貴女はまた……。」
 アルフレッドは、表情こそは穏やかなままだが、目が笑っていない。
「お、お嬢様! ままままたそのようなご、ご冗談をっ!」
 双子の冗談だと言い張るリリスだが、明らかに様子が怪しい。言動がギクシャクし始め、とても慌てているようである。
「フッフッフ、お客様もいらっしゃるし、その話はまた後でゆっっくりと時間をかけてやる事にしようじゃないか。」
 言いながらアルフレッドがリリスの肩に軽く触れると、リリスはビクッとその身を震わせる。
「お、お客様。いえ、ゆ、夢路様。
 ど〜〜ぞごゆっっっくりおくつろぎ下さいましぃ。」
 リリスはその大きな灰色の瞳を潤わせて、優牙に懇願してきた。優牙を引き止めて”主のお叱り”を出来る限り後にしようという算段らしい。
「えぇと……。」
 困った優牙がアルフレッドのほうを向くと、アルフレッドはニコリと微笑む。
「うむ、ごゆっくりというのは間違いではないね。Ms.リリスの事は気にせずにくつろいでくれたまえ。
 リリス、お客様にごゆっくりして欲しいのなら、早く準備をなさい。」
「Sir yes , sir !」
 何故か警察官か軍隊のように右手で敬礼をし、威勢の良い返事だけを残し、リリスは慌てて部屋から出て行った。
 ……まぁ、その直後に何かが盛大に転んだような音と、壺か何かの陶器が割れたような音が響いたのはご愛嬌(あいきょう)というヤツだろうか。
「はぁ、まったく……締まりのない方ですこと。」
「……バカ、デス。」
 双子の呟きだけがその部屋に響いていた。

「お、ようやく戻ってきたか。」
 立派な門の上にはリュージがチョコンと座っていた。
「……早速、やられたみたいだな。」
 首筋に貼ってあるシップを一瞥(いちべつ)したリュージがそんな事を言う。
「別にやられちゃいないよ。もぅ痛みは引いてるし。」
 言いながら優牙は首筋の湿布を剥がして丸め、ズボンのポケットの中に突っ込んだ。
「どっちにやられた? 姉か妹か? それとも両方か?」
「? 湿布のことなら、メイドさんのせいだけど?」
「そうか……。今日は「あの日」じゃなかったんだな。」
 と意味不明な事を呟くリュージに、何のことだと優牙が尋ねるも、リュージは気にするな、触らぬ神に祟りなしだ、などと言ってそれ以上は何も言わなかった。
 実はあの後、とにかく優牙に帰って欲しくないリリスが、マッサージを致しましょうなどと言い出し、優牙にマッサージを施したのだ。しかし、何かツボを間違えたのか、結果的にリリスは優牙の首筋にダメージを与えてしまい、彼女の目論見は失敗に終わった。
 屋敷を出た直後に「I have a terror of spider! Please help me , sir! Nooooo!」というようなリリスの悲痛な叫びが聞こえた気がした優牙だが、気にしないでおくことにした。
「で、次は?」
「あそこの寿司屋かな。」
 優牙が指差した先には、小さく古臭い一軒の寿司屋があった。看板には「大江戸寿司」と書いてある。
「アリスさんの言う通りに作ったから、後7人分しかないけど……。従業員とかも含めて、の人数なのか?」
「ダイジョーブ。あの寿司屋は小せぇから、家族4人でしか経営はしてねぇ。」
 リュージの言葉に安心した優牙は引越し蕎麦を渡すべく、寿司屋に向かった。
 正面のお店の出入り口から堂々と入るのは躊躇われたので、店の脇にある小さなドアをノックしてみる。
「へ〜い、ただいま!」
 威勢の良い、中年男性と思われる声がドアの向こう側から聞こえてきた。数十秒程してからドアが開けられ、出てきたのは赤い髪にねじりハチマキ、白いエプロンを着たガッシリとした体型のオジサンだった。
「おぅ。何のようでぇ、坊主。見かけねぇ顔だな。」
 その角張った顔とマッチした威勢の良い声で男は言う。
「昨日、近所に引っ越してきた夢路優牙と申します。
 これ、お近付きの印に引越し蕎麦です。」
 優牙が蕎麦が入ったタッパーを渡すと、男はかなり驚いているようだった。
「か〜〜っ! 最近の若ぇモンは、礼儀がなってねぇ!と思ってたが、おめぇさん、その心意気は立派だねぇ〜!
 俺は大江戸永治(えいじ)ってぇ、しがない寿司職人よ。
 お〜い、かあちゃん! 春夏(しゅんか)! 秋冬(しゅうと)! ちょっと来いや!」
 男が店内に向かってそう叫ぶと、今度は中年女性の声で「何だい!?」と返事があった。
「あたしゃ、仕込みで忙しいんだよ!」
 愚痴愚痴言いながら出てきたのは、ちょっと太めのオバサンだ。
「今度引っ越して来たっていう、若ぇモンだよ! 律儀にも引越し蕎麦持って来てくれたんでい!」
 ちょっと太めのオバサンは優牙の姿を確認すると、それまでの張りのある声から猫なで声に変わる。
「まぁまぁまぁ、わざわざどぉも〜。」
 言いながら、頭を下げるオバサンはオジサン同様白いエプロンを着て、軽くパーマをかけた髪に、頭には三角形の頭巾をかぶっていた。
「こっちは俺の妻の月子(つきこ)ってんでぃ。かあちゃん、このニイチャンは夢路優牙さんでぃ。
 ホレ、かあちゃん、これがその蕎麦でぇ。」
 オジサンが蕎麦が入ったタッパーを渡すと、オバサンはそれをしげしげと眺める。
「まぁまぁまぁ、これって、手打ち?」
「はい、お口に合えば良いのですが。」
「まぁまぁまぁ、よく蕎麦打ちなんて出来るわねぇ〜。
 ウチの娘なんか卵焼きだって出来ないのに。」
「娘っつたら、春夏と秋冬はどうした? まだ来ねぇのか?
 お〜〜い、春夏! 秋冬!」
 春夏と秋冬というのは子供名前なのだろう。オジサンは二つの名前を更に大きな声で叫んだ。
「うるさいなぁ。僕は接客してるんだよ。それに姉さんは出前を届けに出て行ったばっかりじゃないか。」
 そのか細い声を発しながら現れたのは、細い目をした青白い短髪の少女のような少年だった。
 線が細く、頬も少しばかりこけているその少年はあまり両親に似ているようには見えない。
「ホレ、ご近所に引っ越して来たンだと。おめぇも挨拶せぇ!」
 オジサンが少年の背中をバンバンと叩くと、少年はめんどくさそうに優牙の前に出てきた。
「名前は大江戸秋冬(しゅうと)、趣味は読書です。ヨロシク。」
「夢路優牙、高校二年です。趣味は料理です。こちらこそヨロシク。」
 秋冬と名乗った少年は、その細い目で優牙をジロジロと数秒の間観察した後、「僕より年上なのかぁ」と呟いた。
「おぅ、本当は娘がもう一人、春夏って言うんだが、生憎出前に行っちまって。
 ま、学年はおめぇさんより一つ下だから、会う事は少ねぇと思うが、よろしくしてやってくれ。」
「はい、分かりました。」
「まぁまぁまぁ、アンタがもし春夏を気に入ったら、婿に来てくれんかねぇ。
 春夏も秋冬も、料理なんてテンデ駄目で、家業を継ぐのがいないだよ〜。」
 そう言ってオバサンはあっはっはっはっはっは、と豪快に笑う。優牙はどう反応したらいいのか分からず、とりあえず愛想笑いをしておいた。
「……姉さんが気に入る(オトコ)とは思えないケドね。」
 弟・秋冬少年の呟きは、オバサンの笑い声に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。

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