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 ライオンやトラなどの肉食動物は狩りで獲物を捕まえる際、獲物の喉や鼻や口に噛み付いて窒息死させるという。
 恋もそんな野生の勘が働いたのかもしれない。
 しかし、突然顔に噛み付かれた駆楼都は堪ったものではない。唯でさえ顎の力というのは非常に強いのに、恋は犬歯は鋭いし顎の力も野生の肉食動物並みに強力だ。
 そんなものに力いっぱい噛まれて、駆楼都の鼻が無事で済む保障はない。
(ハにゃ)がっ、(はニャ)がっ!」
 取り乱し、金と化した腕を滅茶苦茶に振るって形振り構わず恋を殴りつけようとする駆楼都。
 そんな駆楼都の腕を何とか両腕で押え付け、噛み続ける恋。
 戦いは既に我慢比べへと移行している。ここから先は忍耐力の強い方が勝者となる……かと思われたが、そう長くは続かなかった。
 駆楼都が全身を金へと変えてしまったのだ。今の今まで痛みで能力のことを忘れていたらしい。
「こ、この貧乏獣庶民め! よくも!」
 貴金属化し、痛みがひいて冷静になってきて、駆楼都はある事にようやく気付いた。
 恋が駆楼都に鼻に噛み付いていた、という事は……ものすご〜く、そりゃぁもぅキスをしているかの如く、顔が近いのだ。ていうか、まだ恋は噛み付いたままなので、ほとんどキス状態なのだけれども。
「ぬぅおおおおおぉぉぉぉおおぉぉっ!」
 目蓋を閉じようにも離れようにも、全身金と化しているので、まったく動けない。
 これは超純情少年の駆楼都には非常にツライ精神攻撃だった。
 野性的な美少女が、目の前で鼻に噛付いている――文章では非常に淡白な事だが、当の本人にとっては一大事件である。駆楼都の脳ミソがホットにヒートアップして、熱暴走を開始。
 しかも金という物質は熱伝導率が高い――つまりは熱が伝わるのが早い。だから、接触している部分から全身に恋の体温が伝わっていく。それが駆楼都の熱暴走を確実に加速させていた。
 ヤセイテキナビショウジョノタイオンガ、ゼンシンヲカケヌケル。
 野性的な美少女の体温が、全身を駆け抜ける!
 更に追い討ちをかけるように恋は。
 ペロリと。
 駆楼都の顔をその舌で舐める。
 ペロリペロペロペロリンチョ!
「っっっ!」
 超純情で潔癖症の駆楼都の精神は追い詰められていた。もう何で自分がここに居てここで何をしているのかもよく分からなくなっていた。
 ただ、取り敢えずは目の前の有害動物を排除しようと思った。
 顔と額の貴金属化を続行しつつ、首から下の貴金属化を一時解除。
 一瞬体を仰け反らせ、思いっ切り自身の頭を恋のそれに叩き付ける。黄金の頭突きだ。
「きゃいん!」
 犬ころのような奇声をあげて、恋が後退(あとずさ)る。
 その一瞬の隙をついて、駆楼都は全身の貴金属化を解除した。この次の一撃が、どれだけの重みを持つか十分知っているからだ。
 すぅっと軽く深呼吸して、恋を見据えて言い放つ……その一撃必殺の技は。
「この下品な貧乏人め! そんなんだから、実の親にも捨てられたんだろ!」
 それは、言葉の暴力。
 人の心の弱点を刃物で抉る、誰でも使える必殺技。
 駆楼都は言ってしまってから、しまった! と思った。「捨てられた」「見放された」は恋にとっては禁句だと知っていたからだ。だからこそ駆楼都はそう言い放ったのだが、あまりに威力が大き過ぎたのだ。
 恋はそれまでの勢いを急激に失う。眼に溜まった涙がポロポロとこぼれ始めた。表情は悲痛なものになり、身体は小刻みに震え出す。
「ぐすっ……ひっぐ……。」
 遂には嗚咽を漏らす恋。
 これには流石に駆楼都も焦った。泣かそうという気はまったくなかったのだ。
「あ、いや……、えっと……。」
 慌てた駆楼都はあたふたして左右の手を大きくでたらめに振った。彼としては彼女の肩でも叩いて励まし、非礼を詫びるつもりなのだが……。超純情の彼にとって、女性に触れるのは戦いよりも勇気が必要だった。だから妙にあたふたしているのだ。
 ふいに、その手が恋の麦藁帽子をちょっとだけ跳ね上げる。
 瞬間、何かが弾けたように恋は駆け出した。
「うわおーーーんっっっ!」
 犬の遠吠えだか女の子の泣き声だかよく分からない声を上げて。
「あ……。」
 駆楼都が後を追おうとした時には既に名馬並みの俊足で何処かに走り去った後だった。当然、背中すら見えない。
 呆然と立ち尽くす駆楼都。
 突如、その背後に巨大な炎の塊が出現する。
 ……咄嗟に気付いて全身を白金にして防御しなければ、今頃駆楼都は全身大火傷を負っていたところだった。
「このボケ成金坊ちゃんが! とっと元に戻せっての!」
 いつの間にかシオンからアリスへ変貌していた竜宮が咆えていた。彼女が抱えていた買い物袋は無残に捨てられ、食材のいくつかは既にカラスの胃の中である。
「アンタ、恋ちゃんが何でこの島に居るのか、知らない訳じゃないでしょ!? どうしてあんな事……!」
 アリスは悲痛に叫んでいた。まるで他人事ではないかのように。
「なぁ、良かったらその辺り詳しく聞かせてくれないか?」
 その場に固まっていたもう一人の人物――夢路優牙の両手は、荷物を長時間持ち過ぎて真っ白になっていた。

 荒塚恋が生まれたのは貧しい家庭だった。
 雨漏りがして隙間風が吹くあばら家に住み、今を何とか食い繋ぐ最底辺の生活だ。
 両親がどういう経緯でそういう生活になったのか恋は知らない。生まれたときから……いや、恋が生まれる前からそういう生活だったらしい事は知っているが、恋はあまり知りたくは無い。
 ……母親が恋を妊娠したとき、産婦人科の医者は「奇形児の可能性が高い」と彼女に告げた。それでも彼女は恋を産む決心をし、父親もそれを応援した。
 そして恋は生まれた。
 恋の能力は生まれ付きだった。産婦人科の医者が恋を見たときの第一声は「こんな赤ん坊見たことない!」だった。すぐに精密検査が行われたが、どんな奇病よりも奇妙な事は恋がまったくの健康体であるという一点だった。突然変異にしても遺伝子には変異がなく、医学上は「完全完璧に健康な人間」としか言いようが無かった。
 医者は夫婦が明日の生活にも困るような人間である、と知ると、母親にこう言った。
「謝礼はたっぷりお支払いしますから、娘さんを医学の発展の為に献体として当医院に預けられませんか?」
 夫婦は激怒してすぐにその病院を退院した。獣耳と尻尾が生えている以外は健康な普通の赤ん坊だったから、その後も病院の世話にはならなかった。
 しかし、噂というのはあっという間に広まる。
 夫婦の元にはよく「○○研究所の者だが、娘さんについてお聞きしたい事がある」という者が現れた。「遺伝子検査をしたいから血か髪の毛を売ってくれないか」とか「検査をしたいから何日か預けてくれないか」とか言う者も多かった。中には親子共々誘拐をしようとした不届き者も居た。
 勿論、知識探求者以外の所謂普通の人間も例外なく恋と両親を避けた。近所の大人たちは怖がって子供と遊ばせない。頼れるような親戚も元々居ない。
 男が現れたのは恋が物心付くか付かないかの時だった。
 最初、夫婦はまた何処かの研究所の人間かと思った。そうでなくとも怪しい宗教の勧誘か。
 しかし、男は紳士的な優しい態度で何度も夫婦に接してきた。曰く、男自身の娘たちも似たような状況であり、彼女らを守る為に外界から隔絶されたコミュニティで暮らしているらしく、男は恋もそのコミュニティで暮らさないか、と誘いにきたのだ。
 男の口頭の説明だけでは、よくある「真の人間性を〜〜」などを謳っている怪しい団体だ。しかし、男の実演が全てを覆す。
「Mr.&Mss.荒塚。私も昔はよく虐められたものですよ。いや、私は本物の人体実験の被験体になった事もある。貴公方も親なら、子供にこういう事をさせたくはありますまい?」
 その男――オールバックにした金髪に立派なカイゼル髭。水晶のようなブルーアイズ。体の至る所に手術痕と思われる無数の傷跡を残し、不思議な力を使うイギリス紳士――アルフレッド・K・ラドクリフ伯爵は穏やかな目つきで恋の頭を撫でた。
 ――それが、恋が小父様と慕うアルフレッド卿に関する最初の記憶。
 それから一年と経たない内に、恋は一人で夢源島に引っ越した。
 最初の内はラドクリフ邸でラドクリフ一家と一緒に暮らした。双子はその頃からイタズラ好きで、メイドはまだ日本語に慣れていないらしく言葉が無茶苦茶で……、大変な毎日だったが、とても楽しかった。
 小学校で出会った金沢 駆楼都は、初めの頃は恋の両親と同じくらい貧乏だったのだが、いつの間にか(自称)大金持ちになり、見栄と意地だけは立派に成長させた。
 小学六年生になった時、恋はちょっとだけ無理を言って一人暮らしを始めた。別に愉快なラドクリフ一家が不愉快になったとかそういう理由からではなく、いつまでもアルフレッド卿に頼りたく無かったのと、早く自立して両親の役に立ちたかったから。
 両親は今でも苦しい生活をしているらしい。恋が島に住むときにアルフレッド卿から決して少なくない援助金を貰っている筈だが、それでも生活は向上していないそうだ。
 結果だけを見ると両親は恋を金で売ったように見える。
 が、恋はそうは思いたくなかった。
 だって、二人の両親は恋を愛してくれたから。貧乏で、明日の生活も分からないような状況で、子供に食事だけは不自由はさせまいと自分たちはロクに食事を取らず、大食いの恋(赤ん坊の頃で既に成人男性一人分は軽く平らげる)に食事を分け与えるような人たちだから。
 でも、それ故に。
「何で一緒に住んでくれないの? お父ちゃん、お母ちゃん……。」
 恋は膝を抱えながらポツリと呟いた。

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